今月は「スポーツの日」がありましたが、皆様はスポーツを楽しみましたでしょうか。
佐藤はと言えば、「見る」という観点では楽しみましたが、「自らプレーする」という意味では全くもってスポーツの日らしさはありませんでした。
と、言いますか、そもそもがもう何年も、どころではない期間、スポーツらしいスポーツからは遠ざかってしまっております。
佐藤の体型を見れば一目瞭然かと思いますし、ちょっと動いただけで汗だくになり疲弊しておりますので、近年に佐藤と出会った方々からしますと、スポーツをしているとの印象は全くないのかもしれません。
しかしながら佐藤、こう見えて小さな頃から学生時代はスポーツに力を入れておりまして、部活動にも真剣に取り組み、また社会人になってからも運動は継続しておりました。
「いや、うそでしょう」
そんな声が聞こえてきそうですね…。
「いくらなんでもここまでの体型と運動能力低下は、まぁ、普通はないよねぇ」
そのように思われてしまうかもしれません…。
「ちょっとした趣味で動いていただけだよね!?」
などと考える方がいたとしても全くもって不思議ではありません。
ただ、佐藤が色々なスポーツをしっかり行っていたというのは本当です。
本日は、もう過ぎたもののスポーツの日にちなみ、また佐藤は本来スポーツを見るだけではなくプレーすることも好きであり、これまでにはきちんと取り組んできたと皆様に知っていただくため、これまでの運動歴や思い出せるエピソードを記していきたいと思います。
では早速。
【小学4年生~6年生⇒『野球』】
佐藤のことをよく知っている方すれば、野球というイメージはないのかもしれません。
当時はとても小さな町に住んでおりましたので、クラブ活動の種類も少なく、男子は野球、女子はソフトボールとほぼ決まっていたのです。
これでも6年生の時にはキャプテンを任されており、打順は2番、ポジションはショートでした。
本当は4番を打ちたかったものの、当時の監督より、
「佐藤君は当たったらめちゃくちゃ飛ぶけど当たらないからだめだ。それより足を活かして全部セーフティーバントをして、塁に出たらノーサインで全て盗塁してほしい」
と、言われたのです。
非常に弱小チームであり、なかなか勝利とはなりませんでしたが、佐藤はじゃんじゃんバントをしてどんどん出塁し、その全部で盗塁し、ほぼ成功しておりました。
ポジションについては本当はピッチャーをしたかったのですが、当時の監督より、
「佐藤君は球のスピードはめちゃくちゃ速いけどコントロールが散々だからだめだ。相手が怪我をする。それよりショートでその肩を活かしてほしい」
と、言われたのです。
確かにフォアボールばかりでしたのでしょうがないのですが、ショートにおいては多少打球を取り損ねてもおりゃ~!とボールを投げてアウトにしておりましたので、チームには貢献できていたのではと思います。
まぁ、ファーストを守っていた友人は、あちらこちらに送球が散らばるので大変そうでしたが…。
【小学5年生~6年生⇒『陸上』】
クラブ活動としてではありませんでしたが、野球と並行して他の学校と競う陸上大会などに出場しておりました。
100m走は3位、当時あった種目のボール投げでは優勝しております。
また学校対抗のリレーではアンカーを務めました。
ちなみに、小学4年生までは足は遅く、運動会でもビリになったこともあるほどですが、いきなり5年生の頃からブーストがかかって速く走れるようになりまして、それ以降は陸上の練習をして大会にも出るようになったのです。
【小学6年生⇒『ドッジボール』】
こちらもクラブとしてではないものの、ちょっとした大会に出場し優勝したことがあります。
佐藤は強烈な球を投げるのが得意であり、「当たると相手が泣く」と言われておりましたね…。
実際に大会では他の学校の選手に佐藤の投げた球が直撃し、何名かが泣き、医務室に運ばれておりましたが…、ご安心ください、全員が大きな怪我もなく無事でした。
【中学1年生~3年生⇒『バスケットボール』】
こちらは部活動として本格的に活動をしております。
1年生の頃からベンチ入りし、3年生の時にはキャプテンを務めました。
実物の佐藤を見たことがある方はご存知の通り、こんなにもちびっこ体型ではあるものの、大きな選手達を相手に奮闘するのが楽しくもあったのです。
さすがにダンクとはいきませんでしたが、当時はリングのちょっと下くらいまではピョーン!と跳べましたので、多少の身長差は関係ありませんでした。
また、スピードには自信がありましたので、とりあえず常にドリブルを意識して相手選手を抜いて抜いて抜き去っていたことを覚えております。
ただ、佐藤のいた学校は極めて弱小チームだったのです。
ある時、全国大会に出場したチームと対戦する公式戦がありました。
大変悔しいことに、相手は完全にこちらを格下と見て、まぁ、そうですね、言ってみれば、つまりはなめていた、状態だったのです。
当時は大変腹立たしく、こう見えて隠れ負けず嫌いなものですから、全てのプレーを全力スピードで行い(これを佐藤的にはスーパーダッシュと呼んでおりました)、じゃんじゃん攻めていこうと決めました。
そうしましたら、なんと、前半終了時点で佐藤の学校がリードしている展開となり、チームの得点の約9割は佐藤によるものとなっていたのです。
全国大会に出るほどのチームですから、ハーフタイムでは相手の学校の監督はそれはもう強烈に怒っておりまして、後半からはダブルチーム(2人がかりで守りにくること)で佐藤にディフェンスがつきました。
その後、佐藤は何とか周りの選手を活かそうとしたものの、なかなか難しく、結果的には負けてしまったのです。
ものすごく悔しかったのですが、その試合は他の学校の選手達にもインパクトを与えたらしく、違う大会の時に佐藤の友人が周りに座っていた人達の会話を聞いたと教えてくれました。
それは、
「あれが○○中の佐藤か、確かにめちゃくちゃ速いな」
というものです。
これだけ聞けば、噂のすごい選手のようでかっこいいのですが、実は続きがありまして、
「でも、なんか左手のドリブルはヘタだし、シュートもいまいちだよな」
と言っていたらしいのです。
聞かせてくれるのは最初だけでいいよと思いましたが、実際のところはまさにその通りでありますので、さほど選手として大成しなかったのもその辺りが原因だと自己分析しております。
ある試合では、監督からの指示でアイソレーション(チームのメンバーは全員サイドなどに離れ、佐藤が1対1で攻撃を仕掛けること)を行ったりもしたのですが、やはりスーパーダッシュだけでは物足りず、勝利とはいきませんでした。
【中学1年生~3年生⇒『陸上』】
中学に入ってからも陸上は続けましたが、佐藤がいた学校には陸上部はありませんでした。
そのため、授業が終わるとまず陸上の練習をし、その後にバスケ部の練習に合流するという日々であり、学校の中で選抜された選手達が大会に出るというシステムだったのです。
1年生の時には100m走は12秒台がベストタイムであり、ある支庁レベルにおける大会で決勝まで進み4位になったことがあります。
その後、腰を痛めてしまったものの変わらず兼務での活動を続け、3年生の時には佐藤の出身地である市において100m走は3位、走り幅跳びは5位に入賞することができました。
100mの決勝の前には、他の学校の選手から、
「あの~、○○中って、陸上部あったっけ??」
と、聞かれましたので、
「ないよ。おれ、バスケ部なんだよね」
と、答えたところ、大変驚くと共に負けられないオーラが放たれましたので、佐藤としましては、
「バスケ部代表として陸上部には絶対負けん!!」
と、意気込み、優勝はならなかったものの上記の成績となったのでした。
ちなみに、学校内の陸上記録会においては、1年生の100m走における学校記録を約30年振りに塗り替えております。
【高校1年生~3年生⇒『バスケットボール』】
高校に進学するとさすがに兼務が難しいと感じ、怪我の影響もありましたので、3年間はバスケ部のみに所属して活動いたしました。
ただ、これまで同様チームは弱小であり、佐藤個人としても際立った活躍はできておりません。
実は、高校時代からは勉強も大事だよなぁと思い始めまして(遅いですが…)、少しずつ運動オンリーという考え方が変化していきました。
また、この頃からサッカーが大好きになり、バスケと全く同じで左足がほぼ使えないものの体育レベルではFWとしてよくゴールを決めるようになりましたので、とても楽しくプレーできていたのを覚えております。
【大学1年生~4年生⇒『サッカー』『フットサル』『バスケットボール』】
大学生になるとサークルメンバーとのバスケは楽しむようになったものの、よりサッカーにのめり込んでいきました。
バイト先の仲間やその先輩後輩などと共に社会人チームを結成し、オリジナルユニフォームも作ってホームページも開設し、週末は常にサッカーの試合、冬期間はフットサルとかなりの運動量となっていた時代です。
サッカーにおけるポジションは、当時はまだ太っていなかったことからスピードを活かすFWでありました。
部活としての経験はありませんでしたが、色々な人にアドバイスをもらい、練習とイメージトレーニングを繰り返し、そして見よう見まねで得点を取ることができていたのです。
ある時、社会人リーグに参戦している強豪チームと対戦する機会があったのですが、佐藤はそこでループシュートを決めました。
実際のところは、目の前にボールが転がってきた際に相手チームのゴールキーパーが前に出ていたことからとりあえず思い切って蹴ってみただけなのですが、うまい具合に弧を描きゴールの中に吸い込まれていったのです。
その後、「ドリブルは細かいタッチの方がいいよ」と味方の経験者からアドバイスを受けていた佐藤は、相手が強豪であろうともお構いなしにスピードと助言をもとに攻撃的に仕掛けました。
すると、ゴール前で2人のDFをかわすことに成功し、シュートを放ちましたら3人目のDFが足を出してきてブロックされたものの、その跳ね返りをダイレクトでシュートし、再びゴールを決めたのです。
これにより、強豪チームの選手達は本気になり、また佐藤へのマークは厳しいものになりました。
後日、同じチームと再戦した時には、相手チームのキャプテンがものすごい形相と声で佐藤の背番号である11番を連呼しており、
「11!11番見てろって!!」とか、
「ほら、11行くよ11番!!11ケアしてよ!!」だとか、
「オフサイド!11オフサイドでしょ!?11番!11番!オフサイドだよ!!」だったり、
何かとてつもない警戒具合でして、聞いたところによると前回対戦の佐藤の2ゴールにより完全に徹底マークのスイッチが入ってしまったとのことだったのです。
しかしながら佐藤、サッカーに関しては趣味であり、素人です。
部活として本格的に練習をした経験はありません。
よって、そこまでの強豪チームが本気になりマークが厳しくなりますと、佐藤、その後はなかなかゴールを決めることができませんでした。
ただ、試合後に相手チームの方から、
「どこの高校でやってたんですか?」
と、聞かれましたので、
「高校は○○です。でも、バスケ部でしたけど…」
と、どこかで聞いたことのある言葉でお答えしたところ、相手の方は大変驚かれておりましたので、本格的な経験がなくてもある程度は経験者相手にも通用するのだと認められたような気がして嬉しかったです。
【社会人⇒『フットサル』『サッカー』】
大学生の時に作ったチームでプレーを継続しておりましたが、この頃からはメンバーそれぞれが就職、転勤、結婚、家族サービス等々で忙しくなり、なかなかコンスタントに11人を揃えるのが難しくなりまして、フットサルでの活動が多くなりました。
ただ、ある街で行われた市民大会では、11人制のサッカーでエントリーし優勝しております。
まぁ、参加チームは4つほどでしたが…。
ちなみに佐藤、フットサルの時の背番号は9番であり、外でのサッカーをする時の11番と共に、今もユニフォームはしっかりと保管しております。
以上が佐藤のスポーツ歴となりますが、いかがでしたでしょうか。
全国大会に出場したとか、北海道でも有名な選手であったとか、そのようなことは全くない佐藤ではありますが、それでも真剣に、楽しく、そしてそれなりの種類のスポーツを行ってきたのは事実でありまして、当時は今の350倍くらいは機敏に動けていたのです。
社会人になってからの直近の試合はと言いますと、それはもう、ここで記すのすらためらってしまうほどの過去の話となってしまいます。
それでも、佐藤は本来、スポーツは見るのもプレーするのも好きです。
近年は、チーム創立時から応援している北海道コンサドーレ札幌を中心に、とにかく見ることばかりのスポーツですが、やはりどこかのタイミングではフィジカルコンディションをさらに上げて実際にプレーする機会も作らなければなと考えております。
もちろん、本日ご紹介した当時のような強度では動けませんので、かなり緩めな試合にしなければいけないのでしょうが…。
そういえば、もう一つ、思い出したエピソードがありますので綴らせていただきます。
佐藤、中学生の時にバスケ部の監督から以下のようなことを言われました。
「佐藤を市の選抜メンバーに推薦しようと思っている」
当時の佐藤はとても嬉しくなり、より練習に熱が入ったのですが、その後、実際には全く声がかからなかったのです。
やっぱりスーパーダッシュだけだとだめなのかな、もっともっと上達しないといけないんだろうな、と自分自身に言い聞かせていたのですが、卒業が近くなった頃、クラスの担任の先生にこんなことを言われました。
「いや~、今だから言うけど、佐藤さ、けっこうね、しばらくの間は正式なバスケ部員じゃなかったんだよ」と。
佐藤の頭の中は「?」でいっぱいになり、何のことやら意味がわからず、その理由を聞きました。
すると、
「ほら、転校してきた時に言っただろ、やっぱりサッカー部に入ってもらいたかったからさ」
との回答が返ってきたのです。
佐藤が中学2年生と3年生の時の担任の先生はサッカー部の監督をしておりまして、市内でもなかなかに有名な指導者でありました。
そして、佐藤は中学2年になる時に転校でもともとの出身地に戻ってきたのですが、新学期が始まる前に学校を訪れた際、次のようなやりとりがあったのです。
担任の先生:「佐藤君は何か部活やってたの?」
佐藤:「バスケ部です。あと、陸上もやってました」
担任の先生:「そうか~、うちは陸上部はないし、バスケ部は弱いよ。サッカーとか興味ある?」
佐藤:「サッカーは…、ほとんどやったことないです」
担任の先生:「そうなんだね。陸上は?何の種目でどんな感じだったの?」
佐藤:「得意なのは短距離です。100mは去年12秒台が自己ベストでした」
担任の先生:「えっ!?そうなの?速いね!いやぁ、やっぱりサッカーやった方がいいよ!」
佐藤:「でも、バスケ部に入りたいので…」
担任の先生:「おれはサッカー部の顧問だから、直接指導してあげられるし、そのスピードは絶対サッカーだよ」
佐藤:「いや、バスケがしたいので…」
担任の先生:「う~ん、もったいないなぁ。でも、待ってるよ。バスケ部の顧問の先生にも言っておくから!」
佐藤:「いや、だから、バスケ部ですって…」
と、いう感じでした。
そして、その後も「サッカーやる気になったか?」とか、「ほら今回の大会も一回戦負けだったんだろ、早くサッカー部に来いよ」などとよく言われていたのですが、大半はスルーをしてやり過ごしていたのです。
ところが、卒業間際になって先生からのカミングアウトで全てがわかりました。
サッカー部の監督であり佐藤の担任であった先生は、「佐藤はサッカー部に入れますんで、入部届は保留しておいてください」とバスケ部の監督の先生に言っていたというのです。
当時の細かな決まりはよくわかりませんが、佐藤が想像するに、おそらく、正式な部員でないということもあり選抜メンバーへは推薦してもらえなかったのではないか、と考えております。
もちろん、これは佐藤にとっての都合の良い解釈でもありますので、ただ単に実力不足によるものかもしれません。
ただ、明確にバスケ部の監督が選抜の話を出したにもかかわらずその後には一切の話題が出てこなかったあたりは、かなり怪しいなと今でも思っております。
それにしても、入部届を保留などという事実があったのは驚きでした。
遥か昔の出来事はいえ、そんなことがあってよいものなのでしょうか。
しかし、一方で、ご紹介してきましたように、その後の佐藤はサッカーを見るだけでなくプレーする方にも熱が入りましたので、今思えば、もし中学生当時にサッカー部に入っていたらまた違った展開になっていただろうなとは考えたりもします。
スポーツにたらればはない、とよく言いますが、もしもを想像してみるというのは楽しかったり不思議な気持ちになるものですよね。
そして、スポーツというのは、プロでもアマチュアでも趣味でも、素人の気軽な運動であっても、大きいか小さいかは別として全てにドラマがあると思うのです。
運動はそれそのものを楽しむのも大きな目的の一つでありますし、それに加えてドラマティックな展開にドキドキするのもまたスポーツの醍醐味なのではないでしょうか。
スポーツの日は過ぎてしまい、運動はしなかった佐藤ではありますが、スポーツの素晴らしさは一人でも多くの方々に伝わるといいなと日頃から思っております。
皆様におかれましては、スポーツを楽しむ際には準備運動などを入念に行い、またその後のケアもしっかりとして、怪我のないよう健康的にお楽しみください。
本日はマラソンのように長く、また佐藤の拙いスポーツ歴の綴りにお付き合いいただき、ありがとうございました。
マラソンと言えば、佐藤、昔から長距離走は苦手としておりましたが、小学生の頃には1度だけ、練習に練習を重ねて校内のマラソン大会で優勝したことがあります。
スポーツは、努力やその先の成長につながることも良さの一つですね。
これだけのぽっちゃり体型になった今も、スポーツを通じて養ったものは佐藤の中に確かにありますので、ブログにおきましても、努力し、成長し、楽しみ、何より皆様に楽しんでいただけるように今後も書き続けます。
それでは。