先日の夜、寝る直前になってから自身のiPhoneにてあれこれとインターネット上の情報を見ておりましたら、大変興味深いサイトを発見いたしました。
それは、個人の方が記事を書いているブログなのですが、佐藤が現在暮らしている街のことがものすごく詳細に綴られていたのです。
最初はたまたま見つけたのがその土地におけるいくつかのスーパーの変遷に関する内容でしたので、そうだったのかぁ、へぇ~、意外だなぁ、それは知らなかった、と驚きつつ、ただただ楽しく読んでおりました。
ところが、一つのページ内における文章や情報の量はとても多くて解説もしっかりされており、さらには他の記事へのリンクもたくさんありまして、そちらを閲覧してみましたら、これ、もう、本当に真面目な、れっきとした街の資料とも言えるべき素晴らしい内容であると感じたのです。
おそらくはたくさんの文献などを読まれたのではないかと推察いたしますし、中には街並みのモノクロ画像やかなり古い航空写真などもありまして、当時から今に至るまでの歴史がものすごく詳細に綴られており、途中からは楽しいというよりも勉強になるという感覚でありました。
その方ご自身が幼い頃からその街に住んでいたとのことでより愛着もあるのでしょうし、第三者の方が取材して作るのとはまた違って、より生活や当時の暮らしに近い視点からの歴史が書かれているのが大きな特長であり、それらがさらに魅力を増しているように思います。
本当は全てを読みたかったのですが、かなりの情報量であるのと、もっと頭の中がクリアな時に見た方が良いなと思い、その日の佐藤は寝ることにしたのです。
こちらのブログを書いている時点では、まだ全ての記事は確認できておりません。
週末など時間のある時にでも少しずつ、楽しんで学びつつ読もうかと考えているところです。
それにしても、街の歴史というのはおもしろいものであり、また同時に何とも言えない気持ちにもなるものだな、と感じます。
今では何事もなくごく普通に存在しているお店を使っているものの、そこに至るまでには様々な紆余曲折があったとか、何気なく通っている道にかつてはこんな施設があったですとか、現在もそこにある建物は実はものすごく歴史があるだとかは、今回見つけた記事を読まなければまずわかりませんでした。
そのようなことを知りますと、いつもの当たり前の生活や行動の中で目にしているものに対しての気持ち的な変化が生じますし、ありがたいなぁとか、当時は大変だったのだろうなとか、そうそうここはかつてはこうだったんだっけ、などの感情が浮かんでくるのです。
佐藤自身は現在の土地で暮らすようになってからは、まだそれほど年数が経っておりません。
日頃通る道や利用するお店はよくわかっておりますが、なぜここはこんな道路なのだろうとか、交通網が完成した背景とか、何かの跡とか、商店街があったとか、その頃の名残とか、閑散としている場所が昔は賑わっていたとか、わからないことは多々ありますし、一度も歩いていないエリアもまだまだたくさんあるのです。
佐藤、かつてはその時々の状況により、それほど多い回数ではありませんが引越しをしつつ生活をしてきました。
しかし、今は、今後、おそらくは余程のことがない限り、あっても困りますのでないに違いないと信じておりますが、現在の場所に住み続けることになります。
そうなりますと、これまでとは違った感情が確かに佐藤の中には湧き出てきておりまして、自分が暮らす街のことをもっと深く知りたい、歴史も気になる、というような気持ちが昨今は強くなっているのです。
もしかすると、その、これは、年齢的な部分も影響して…、いえ、おじさんまっしぐらだからではなく、また一歩ジェントルマンに近づいたということにしておきたいと思いますが、とにかくですね、そのような心情になっております。
自身の生活に必要かどうかは別として様々な背景を知る、これは楽しくもあり、大切なことでもあるような気がするのです。
あとは、これはあくまでも理想ですけれども、地元の方々しか知らないようなこぢんまりとした隠れ家的お店の常連となり、散歩途中でふらりと訪れては、
「大将、いつものね!」
と、言って飲み物とお気に入りの料理が運ばれてきて、大将からは、
「今日あたり来るかなと思って、いいやつ、入れておいたよ!」
と、旬の食材で作った限定メニューと珍しいお酒をすすめていただける、
そんなシチュエーションに憧れたりします。
まぁ、そんなお店自体が徒歩圏内にあるのかどうかもまだわからないのですが(笑)。
楽しさの一方で、記事を読んでいて少し切なくなった部分もありました。
それは、今では閉店してしまったお店についてです。
佐藤が知っているお店もありましたし、そちらの店舗自体の存在は知らずとも過去には別の地域で他の支店にお世話になっていた日々などを思い出して、色々と複雑な気持ちになりました。
きっと、そのお店が無くなることで住民の方々には何かしらの生活環境の変化があったでしょうし、そちらで働かれていた店員さんからすると大変であり、困っただろうな、などとも想像してしまうのです。
街の進化と変化、それは必ずしも全員にとって良いことばかりではありません。
そのような結果となるのには何かしらの理由があるわけですが、華やかさの裏側では苦労や様々な思いもまたそこに存在しているのではと考えるのです。
すでに、佐藤が今の地域で暮らすようになってからも色々な変化が起きております。
嬉しかった進化もあれば、そうではない残念な変化もあるのが実際です。
そして、佐藤自身が経験した変化というのも、長く続いていく街の歴史の中ではやがてごく一部となり、その場所にそれがあったことを知らない世代も増えていくのでしょう。
そう思うと、少し微妙ですね…。
「昔はなぁ、あの辺りに○○があって、今の□□なんて△△だったんだぞ」
と、語れるようになるのが良いことなのか、それともよりおじさん感が増していると気がついて切なくなるのか、それは現時点ではまだ何とも言えません。
でも、一つだけ言えるのは、何かの縁があって今の場所で暮らしているわけですから、やはり自分が住んでいる土地と街とそこで共に生活している方々を大切にして楽しく過ごしていきたいなということです。
流れに任せて暮らしていても自然と色々なことに詳しくなっていくのでしょうが、今回お伝えしたブログとの出会いはより佐藤の中での「自分の街感」を高めましたので、これまでよりも積極的にあちこちを楽しく散策したり、歴史を知るためのアクションを起こしたいなと考えております。
ちなみに、これからが年末本番であるのに、どうにもこうにもけっこうな前から年末感がたくさん出るほどにあれやこれやと考えることの多くなっている佐藤ですので、その影響からか、本日のブログを書く中で「走尾毛布」という謎の文字を綴った上で途中保存してありました。
記事の作成を再開した際に大変驚きましたが、おそらくは「そう思うと」と綴ろうとしてなぜかこの文字変換となり、他の業務に取りかかるためそのままにしてあったものと思われます。
走尾毛布、これはこれで、どこかでブログにするかもしれません。
それでは。