またの名を、先日ラジオか何かで給食の話題は世代を問わずに盛り上がるらしい、と聞いて、そうか、うん、なるほど、じゃあブログで書こう、と思った佐藤です。
と、いうわけで、皆様は給食の思い出や印象深いエピソードなどはありますでしょうか。
佐藤はと言いましたら、小学校の6年間と中学1年生の時は生まれ故郷とは違う場所で生活しており、その後、父の転勤によって再び地元に転校して戻ってきたため、どちらも北海道内ではありますがそれぞれ違った地域の給食を経験しております。
まず思い出されるのは、小学校の時の給食の容器です。
その当時、おかずについてはお弁当箱のような容器に全てが入った状態で教室に到着し、各自が一つずつ取るというシステムでした。
記憶が確かならば、佐藤が小学校1年生から2年生の頃までは銀色のアルミのような容器でしたが、その後は赤いプラスチック製の容器へと新しくなったはずです。
ただ、このような容器に最初からおかずが入れられているという給食は珍しいようで、周囲の皆様に聞いてみても同じようなシステムを経験している方はいませんでした。
給食係の役割としましても、教室にごはんやみそ汁やおかずが入った大きな容器を運ぶくらいなものでして、お椀によそうなどは各自で行っていた覚えがあります。
小学校から中学1年生までを過ごしたのは、かなり小さな町でしたので、児童数の少なさなども関係していたのかもしれません。
その頃の佐藤の好きな給食はと言いますと、実は、ほぼない、という状態でした。
一生懸命に作ってくださっていた皆様には大変申し訳ないのですが、また、好き嫌いはほとんどないため食べ残しなどはほぼなかったものの、正直に素直にお伝えしますと、佐藤、給食を美味しいと思うことがあまりなかったように思います…。
この辺り、佐藤は比較的小さな頃からカレーなども辛めにして食べていたような気がしますので、給食で出てくるものはマイルドでやや物足りなさを感じたのかもしれません。
そんな中、一つだけ覚えている好きなメニューがありました。
それは、豚肉の味噌焼き(佐藤が勝手に命名)です。
実際のところ、本当のメニュー名はわかりませんが、アルミホイルに包まれた状態で先ほどお伝えしたお弁当箱のような容器に入っており、中にはおそらく豚のロース肉だと思いますが、白みそのソースのようなものがかかって焼かれている料理だったと記憶しております。
これについては、小学生の頃の佐藤、「うわっ!うまっ!これうまっ!」となっておりまして、当然ながらその当時に「うむ、つまみに最高だな」などとは思うはずもなく、純粋に美味しいなぁ、ごはんに合うなぁ、などと思いながら食べていたのが懐かしいです。
あとは牛乳に関してですが、低学年の頃は確かオレンジと白を基調とした三角形の紙パックだったのが、その後は赤と白でパンダだったかライオンだったかのイラストが描かれているものに変更となりまして、毎日必ず一気に飲んでおりました。
また、友人が三角形時代の牛乳をランドセルの中で破裂させて大変なことになったというエピソードを覚えています。
その友人は、給食で出た小さなパックに入っている佃煮やらその他諸々の余った分を持ち帰っては、ランドセルの中で延々と熟成させていた、などもしていましたね…。
中学2年生になって地元に戻ってからは、おかずなどはプレートに盛り付けるシステムが通常となり、それらを給食係が行っておりましたので最初は戸惑いました。
さらに、各自がランチョンマットを持参して、それを机に敷いて食べるというのも転校前の学校ではなかったことなので衝撃だった記憶があります。
まぁ、衝撃と言いますか、中学生の時の佐藤からしますと、以前の学校ではトレイに全て乗せてそのまま机で食べていたのにこっちは面倒だなぁ…、というのが正直なところでしたが(笑)。
この頃のことで他に覚えているのは、ラーメンやうどんなど麺類の食べ方についてです。
麺類は透明なビニールでパックされていて、平たくなっていたのですが、友人達は袋を開封する前に、おかずを乗せるプレートなどで二分割や四分割に切っておりました。
転校前の学校ではそのような食べ方はしなかったので驚きましたし、何よりもそのように分割してしまうと麺が短くなって食べにくいだろうと最初は思ったのです。
ところが、麺類を食べる際のスープが入っている容器は丼などではなく、普通サイズのお椀なものですから、確かにそのまま全てを投入するのは難しく、かと言って都度ほぐしながら食べるのもなかなかに大変であり、結果的には解決策として分割システムに落ち着くことになりました。
ただ、やはり短くなった麺は何とも言えず、やっぱり食べにくかったというのが中学2年生以降の思い出として残っております。
中学校の時はまさにその土地ならではのメニューもありまして、地元名産のある食材がカレーに入っていたのも印象深いです。
こちらは皆様にお話しするとかなり驚かれますので、やはり地元ならではだったと思われます。
今であればそのカレーが出てくると喜んで食べますが、当時の佐藤はその美味しさやすごさを完全には理解しておりませんでした。
また、パンについては、よく給食と言えばで出てくる「揚げパン」が有名ですが、佐藤の中では食べた記憶がありません(もちろん忘れているだけという可能性はあります…)。
それよりも、地元のお菓子屋さんが製造していたあるパンが給食のメニューとして提供されておりまして、絶妙なカスタード具合がとても美味しくて大好きでした。
これら2つ、カレーに入っていた地元の名産が何であるか、パンを製造していたお菓子屋さんがどこであるかを明確に出してしまいますと、すぐに佐藤の出身地がわかってしまうかと思いますので、今回はあえてシークレットにさせていただきます。
まぁ、事務所的にNG、などアイドル的な理由は全くないことから、佐藤の生まれ故郷がわかっても問題はないのですが、ちょっとしたクイズ的要素も含めてこのままにいたしますので、「あの街では!?」と閃いた方がおりましたらお気軽にご一報ください。
この他にも、牛乳に入れる「ミルメーク」や、正式な名前はわからないものの、「クレープ生地の中にミルクアイスが入っていて包装に可愛らしい牛の顔が描かれていたデザート」など、記憶を辿ると懐かしい一品が浮かんできます。
給食そのものに関してではありませんが、中学3年生の時の英語の先生が、いつも教室の壁に貼ってある給食の献立を見て、「あぁ、今日は煮物か~、腹減りそうだなぁ」とか、「おっ、エビフライ、いいねぇ」とか、生徒に問題を解かせている間にいつも独り言をぶつぶつと呟いていたことも思い出しました。
佐藤は当時の座席の関係でいつもその呟きが聞こえていたのですが、ある時、先生がこんなことを言ったのです。
「今日の給食は~、ん?えっ!?ガ?ガノ??ガノ…レ…ツ?なんだ、これ…」
それを聞いていた近くのクラスメイトが言いました。
「先生、それ、カツレツじゃないですか?」
「えぇ??カツレツ!?これ、ツの点々の部分、位置おかしくないかぁ?」
そう反応した先生でしたが、献立は手書きなどではなくパソコンで作成した(当時はワープロの可能性もありますが…)ものでしたので、どこからどう見ても「ツ」は「ツ」であり、決してその前の「カ」に付く濁点には見えませんでした。
先生について書き始めますと、あれこれたくさん出てきそうですので、それらはまた別の機会に綴りたいと思います。
たとえば、転校時に事前手続きで学校に行った際、上下緑色のテカテカしたジャージに室内用のサッカーシューズ、そしてロン毛で登場した先生がおり、「なんか…すごい人が出てきた…」と思っていましたら、それが佐藤の担任の先生であり、しかも体育ではなく社会担当で、その日は部活があったわけでもなく通常の出で立ちがその姿であった、などもぜひご紹介したいエピソードです。
本日は学校給食についての思い出などをいくつか書いてきましたが、記憶を辿ればまだまだ色々な記事を書けるのかもしれません。
皆様の中にある思い出につきましても、給食や先生など内容を問わず、機会がありましたらぜひ聞かせていただければと思います。
そういえば、少し前に佐藤の周囲でこんなやりとりが聞こえてきたことがありました。
「幼稚園の○○先生、足をケガしたからしばらく休職なんだって」
「え?そうなの?いつもは先生が作ったお弁当なのに!?」
笑いが込み上げてくると共に、いいなぁと思いました。
佐藤、給食をリアルに食べていた時代からは相当な年数を重ね、感性が鈍くなったりフレッシュさがなくなるのを心配しておりますが、ご紹介したような素直な受け止めや意図せずに出てくるユニークさなどはいつまでも大切にしたいと考えております。
ただ、子どもの頃の気持ちや感性は良い意味で持ち続けていたいとの思いから新作のポテチをぱくぱくと食べる一方で、紛れもなく今は大人だしなぁ、との考えからチョコボールを箱買いして金や銀のエンゼルを探していることは、こちらのブログをご覧の皆様の心の中だけにそっとしまっておいていただけますと幸いです。
それでは。