先日、お仕事関係でつながりがあり、佐藤が信頼しているある方とメールのやりとりをした際に、記憶力の話題になりました。
その方はいつも佐藤の記憶力に驚いているとのことだったのですが、「3歳~4歳頃の記憶もけっこうあるよ」と伝えましたら、とてもびっくりして、ブログでもぜひ読みたいというような展開になったのです。
と、いうわけで、本日は佐藤の幼き日々の記憶に関するお話しとなります。
少し調べてみましたら、色々な説があるものの、人が記憶として覚えていられるのはまさに3歳頃からと言われているそうです。
ただ、ここにはかなり個人差があるようでして、佐藤の周囲で聞いてみましても、3歳や4歳どころか幼稚園時代の記憶だって小学生の時のことだってほとんど覚えていない、という方もいらっしゃいました。
では、佐藤はどうかと言いましたら、やはり頭の中にはけっこうなエピソードや思い出が残っているのです。
今のように気軽に動画を撮影する時代ではありませんでしたので、佐藤が本当に小さな頃の記録として残っているのは写真くらいなものであり、またそちらにつきましてももう長いこと目にしていない中、あくまでも記憶というところにフォーカスして思い出してみました。
なお、あれこれ検証した結果、佐藤が覚えている最古の記憶は3歳であると考えられます。
こちらにつきましては、佐藤家の引越し、弟の誕生、当時見ていたと記憶しているテレビ番組の放映年度などから導き出しました。
それらを踏まえ、これから綴るのは、佐藤が3歳~5歳の頃の記憶からピックアップした思い出となります。
では早速。
【思い出①】
『床にたくさんのぬいぐるみを置き、父と母はそこでハイハイし、佐藤は少し高いところにある押し入れの中から紐を垂らして釣りのような遊びをしていた』
これはかなり好きな遊びでした。
父も母も魚かのように動いてくれ、たまに佐藤の釣り糸に引っかかってくれるというものです。
ただ、何度も遊んだわけではなく、レアな遊びで楽しみだったとの記憶があります。
【思い出②】
『近所の公園でいつもモグラを探していた』
これは鮮明に覚えております。
自宅近くの公園でいつもスコップ片手に穴を掘り、モグラを探していたものの一度も発見できなかったという思い出です。
友達のお母さんなどからは「何しているの?」とよく聞かれ、毎回「モグラを探しているの」と答えまして、「この辺にはいないと思うよ…」と言われていたような気がします。
ちなみに、ものすごく浅い穴を掘っていましたね…。
【思い出③】
『洗ってカゴにふせてあった茶碗やコップなどを母がトイレに行っている隙に触って落として割ってしまい、押し入れの中に隠れていた』
これは確か3回か4回くらいはあったように記憶しております。
最初は母も「あれ?あれ!?」と佐藤がいないことに戸惑っておりましたが、2回目以降からはすぐに押し入れの戸を開けられてしまい、あっという間に見つかっていた思い出です。
途中からはほぼいたずら的な感覚で行っておりました。
【思い出④】
『母が玄関のドアから外に出た隙にいたずらで鍵をかけたものの開け方がわからなくなり、家の中には自分しかおらず、泣きながら母の指示を聞きつつ鍵を開けた』
これもかなりよく覚えております。
何となく、鍵を閉めてみたかったのです。
でも、閉めたは良いものの、うまくレバーを戻すことができず、母から「そこの上っ!違う違う!もうちょっと下!回す!回すっ!ゆっくりでいいから回す!!」とドア越しに言われ、「うわぁ~!できないぃぃ~!」と泣いていた記憶がありますね。
その後に何とかして開けることに成功したので事なきを得ましたが…。
【思い出⑤】
『薬局のくじ引きで「カルパス」が当たったと聞き、当時からサラミ系が好きだった佐藤は大いに喜んだもののどこにも見当たらずおかしいと思って母に聞いたら当選したのは「カルピス」だったという恥ずかしい思い出』
いつもらえるのか、いつ食べられるのかとかなり楽しみにしていた佐藤でありましたので、母との会話の中で、
「ねぇ、まだ?」
「もうあるしょ」
「どれ?」
「これだよ」
「それカルピスじゃん。カルパスは?」
「え!?そもそもカルパスじゃないから…」
というやりとりがあった時には、大変落ち込んだことを覚えております。
【思い出⑥】
『弟が誕生し、父の仕事の関係で祖父母宅に一人で泊まった佐藤。翌日以降の父と二人の夕食の際、「今回は一人でがんばったから、今日はお父さんの茶碗で食べなさい」と言われて大きな茶碗で初めてごはんを食べた思い出』
何か、こう、このエピソードは佐藤にとっては色々な意味でかなり印象深い出来事でありました。
当時の佐藤からしますと純粋に嬉しいという気持ちと共に、やりたいことをやりたいようにして褒められたわけではなく、訪れた試練を乗り越えた上での称賛という感覚で、ちょっとだけ大人な気分になったことを覚えております。
ただ、祖父と祖母から特に夜は励まされていた記憶も残っておりますので、そこまで何かをがんばったというわけではありませんが…。
【思い出⑦】
『怒られた際に「家出するっ!」と宣言し、玄関に通じる廊下でしばらくうろうろした後に「やっぱりやめた…」と部屋に戻った記憶』
今のようにYouTubeなどなかった時代、得られる情報は現代よりもずっと限定的であったわけですが、なぜその当時の年齢の佐藤が家出などというキーワードを出して家を、いえ、部屋を飛び出したのか、それはわかりません。
この出来事は、2度ほどあったと記憶しております。
こちらはおぼろげですが、確か、家出時間は数分程度であったはずです(笑)。
【思い出⑧】
『車のドアを思いっきり閉めたら自分の指を挟んでしまい、生きている毛ガニをツンツンしていたら指を挟まれ、何かと挟まれた思い出』
父から「半ドアにならないように思いっきりドアを閉めろよ」と、言われ、その通りに力の限りに閉めたものの、自身の左手の人差し指が残っており、思いっきり挟まれたというエピソードです。
骨折などには至らなかったものの、相当痛かったことを覚えております。
当時の車種なども覚えており、シルバーのスカイラインでした。
佐藤が閉めたドアは、運転席側の後部座席だったと記憶しております。
毛ガニにつきましては、父の職場の同僚の方がお土産にくれまして、水を入れた大きなボウルの中で泡をぷくぷくと出していたのですが、何だか気になってしまいツンツンしていたところ、がっしりとハサミで挟まれたのです。
佐藤、泣きましたね。
そして、毛ガニってこんなに強いんだと思いました。
ちなみに、そう食べる機会はありませんが、今や毛ガニは大好きです!
【思い出⑨】
『膝が痛いということでレントゲンを撮ることになったものの、おそろしくてかなり抵抗し泣きじゃくっていた記憶』
当時の佐藤、大人の言う「痛くないよ」はまるでウソだと思っておりました。
そのため、「写真を撮るだけだよ」という母や看護師さん(当時は看護婦さん)の言葉も、「本当は痛いのに言ったら抵抗するから言わないに違いない…!」と思い込み、また撮影台に一人で寝てみるとよりコワくなってきてめちゃくちゃ暴れていたのです。
母からの励ましと説得を受け、何とか撮影し、当然ながらそれに伴う痛みなどあるはずもなく、また何の異常もありませんでしたが、本当に当時は嫌だった記憶があります。
そんな佐藤、現在のデスクのすぐ後ろはレントゲンの撮影室であり、快適且つ心落ち着けてお仕事に集中できておりますので、大人になったな!と思いますね。
【思い出⑩】
『自宅の押し入れの奥から出てきたゲームをしていた記憶』
こちらは、その当時ですでに古いゲームだったと母から聞いた記憶があります。
いわゆる昔のテレビゲーム、でありましたが、緑っぽい画面の中に黄色っぽい四角の的が出てきて、付属のライフルで撃つという射的のゲームでした。
ところが、すでにその時には壊れていたようで、どこを打っても当たったことになるため、当時の佐藤はそれがおかしくてげらげら笑いながら遊んでいた記憶があります。
今思えば、それが佐藤が出会った初めてのテレビゲームであったかもしれません。
そう考えると、その当時からファミコン、ゲームボーイ、セガサターン、プレステ、プレステ2、プレステ3、Wii、そして現在のスマホアプリやSwitchに至るまで、かなりのゲーム歴になる佐藤ですが、今もなお両目の視力は2.0をキープしているのはささやかな誇りです。
と、いうわけでいくつかご紹介してきましたが、お伝えしたような具体的且つそこそこボリュームのあるエピソード以外であれば、実はまだまだ覚えていることがあります。
たとえば、
『お風呂上がりに良く飲んでいたのはHI-C(ハイシー)のアップル』
『当時の自宅の近くにあったスーパーはクリーンショップという名前』
『そのスーパーで近所の同年代の子どもがお菓子を開けて食べてしまい、それはさすがにダメだろうと思っていたこと』
『とうきびを食べ過ぎて翌日お腹が痛くなりトイレに行くと大変なことになった記憶』
『階段から落ちた記憶と、登山中におやつをくれたご夫婦のおじいさんを巻き込みつつ登山道の階段を一緒に転がった記憶』
『かかりつけはむらかみ小児科であり、その時の優しい先生のこと』
『ペンギンのおもちゃの一部を紛失し困っていたが電池を入れる箇所に自分でしまいそれを忘れていたこと』
『祖父母の家でアイスを食べていたら溶けてきたのでテーブルや床を汚さないよう台所に行き、踏み台に乗ってシンクのところで続きを食べていたら、親族のかなりアグレッシブなおばさんに「あんたエライ!」と褒められたこと』
『郵便受けの中に砂遊び用の道具をしまっていた記憶』
『予防接種が嫌で嫌で病院に言っていからも「いい、いや、いい。いいって~!」と叫びながら泣いていた思い出』
『マウンテンデューがなんて美味しいんだと思っていた記憶』
『祖父母がプレゼントしてくれた釣りゲームは本当に水を入れて遊ぶものであり、部屋の中をびしょびしょにしていた思い出』
などなど、断片的な記憶としてはさらに出てきそうです。
ただ、すでにいくつかキーワード的なものは綴ってしまったものの、具体的な商品名や出来事が登場することにより、佐藤のおおよその年齢がわかってしまうかもしれないため、書くのを避けたエピソードもあります。
まぁ、この辺り、特に事務所的にNGだとか、年齢を非公表にしてミステリアスな雰囲気にしようとか、そのようなわけではないのですが(笑)。
日々のブログを読んでいて何となくわかる方もいらっしゃるかもしれないものの、極力は記事そのものに集中していただくため、佐藤の年齢や出身地や血液型や星座や身長や体重やその他諸々はあえて書いておりません。
隠そうとの気持ちがあるわけではない一方で、堂々と宣言するものでもないかと思いますのでそのようにしておりますが、気になる点がありましたらお会いした際やメールでのやりとりなどではすぐにお答えしますので、お気軽にご質問ください。
本日ご紹介したエピソードはパッと出てきたもの、けっこう考えながら記憶を辿ったもの、色々とありましたが、自身の遥か昔の生活を思い出し紐解くことで得られた不思議な感覚がありましたので、佐藤としましては楽しい時間でした。
ブログをご覧の皆様は、幼き日の記憶はどこまで覚えていらっしゃいますでしょうか。
機会がありましたら、ぜひ最古の記憶について聞かせていただけますと幸いです。
追加で思い出したことがありましたら、またブログの中でもご紹介するかもしれません。
また、「私は佐藤が3歳~5歳の頃に遊んでいた友達です」、などという方が万が一この記事をご覧になっておりましたら、ぜひご連絡をお待ちしております。
それでは。