佐藤記号。

2022年4月22日金曜日

t f B! P L
こんにちは。佐藤です。

皆様は、ご自身で書く文字の美しさに自信はありますでしょうか。

佐藤は、全く自信がありません。

むしろ、字が汚いという自信は確実にあります。

なんの自慢にもなりませんが…。

佐藤は子どもの頃から字が汚く、その点は周囲の皆様にもお伝えしているため、ご存知の方も多いかもしれません。

あるいは、実際に佐藤が書いた文字を見て、解読することができずに困ったという経験をお持ちの方々もいらっしゃることと思います。

近年では文字を書く作業よりも、タイピングやフリック入力する機会の方が公私共に多くなっている状況です。

佐藤は、「きれいな字を書くことには憧れるし、自らの文字を正すためにも練習したいという気持ちはあるけれど、そもそも直筆で書く機会も少ないしなぁ」などと思っておりました。

今もなお、当然ではありますが文字を書く機会自体はあるものの、近年ですと、手続き関係などはタッチペンを用いてタブレットの画面に直接書き込むケースも増えているのです。

タブレットに書き込むのは佐藤的には歓迎であり、その理由としましては、字がきれいな方でもペンで直接書くのとは違ってある程度は崩れた文字になる、という点にあります。

つまり、タッチペンで書き込むシステムならば、佐藤の字の汚さが幾分ごまかせるのです。

よって、周囲からは「最近は署名とかタッチペンで書く場合が多いけど、なんだか書きにくいよね」という意見が聞かれるものの、佐藤は、「いやいや今はもうそういう時代だからね」などと機器の進化についていかなければ的な発言をしつつ、本当の理由は内緒のままにしておりました。

さて、けっこう前のことになりますが、諸々の手続き関連において、まさにタブレットにタッチペンであれこれ書き込むという機会が訪れたのです。

佐藤は、実際にペンで書くのではなくてよかったなと思いながら、店員さんの言う通りに文字を書き込みました。

その時のシステムは、書いた文字をタブレットが認識し、正しいのかどうかの確認画面となり、それを承諾していくというものです。

いくつかの文字は順調に認識していたものの、カタカナの「リ」を含む単語を書いたところで問題が発生いたしました。

タブレットは、佐藤が書いた「リ」を「ソ」と認識したのです。

確かに、「リ」と「ソ」は比較的似ています。

「リ」と「ヌ」ならばまるで違いますが、「ソ」はなくはないかな、という感じなのです。

ただ、佐藤が書いたのはあくまでも「リ」であって「ソ」ではありません。

佐藤、その時には「リハビリテーション」と書こうとしたのですが、この誤認識により「ソハビリテーション」となってしまいました。

佐藤は何度か書き直したものの、変わらずタブレットが認識するのは「ソ」であり、消しては書き消しては書きを繰り返していると、やがて店員さんも、

「あれ?あれ?おかしいですね…。あの、もう一度、そうですね…、もう少しゆっくり書いていただいてよろしいですか?」となりまして、

あぁ、ゆっくりというか、きれいに書いてほしいんだろうな…、と思いつつ、できる限り丁寧に書き直したのです。

すると、一応は認識されました。

ただ、ただですね、今度はカタカナの「リ」ではなく平仮名の「り」と認識されまして、意味自体は通りますので「ソハビリテーション」よりはまだよいものの、「りハビリテーション」という何ともいえない表記になってしまったのです。

店員さんは「これでよろしいですよ」というようなことをおっしゃっておりましたが、佐藤的には微妙にカタカタと平仮名が混じっていてしっくりくるのは「ドラえもん」だけですので、「いや、もう一度書き直します…!」と若干意地になりつつタッチペンを手に取りました。

結果としましては、それはもう、機械的と言いますか、まるで定規でも使用したかのような「リ」を書きまして無事に認識されたのですが、タブレットへの書き込みで安心していた佐藤は結局恥ずかしい思いをしたのです。

ちなみに、直接手書きしたある書類の時には、担当者の方が「や」を「ゆ」と読み間違えて佐藤の名前の読みがわけのわからないことになったという経験もあります。

そして佐藤、自身の書いたメモを数日後に見返した時に、自分でも何と書いてあるのかがわからず、固まってしまったことも一度や二度ではありません。

これらは確かに困るのですが、そんな佐藤を支えているあるお話しがあります。

それは、「頭の回転の早い人、頭の良い人ほど字が汚い」というものです。

このお話しはけっこう色々なところで耳にしたり、目にすることがあります。

佐藤の頭はどうなのかということについては皆様のご想像にお任せいたしますが、字が汚い者としては実に勇気の出るお話しなのです。

佐藤の中では、特にメモなどはそうなのですが、何となくデザイン的に文字を捉えている部分がありまして、読めるかどうかというよりも、フィーリングで記した方が頭の中に入ってきます。

文章の途中でよく矢印も使いますし、「or」とか「but」とか「in」とかも多用するのです。

まぁ、英語の読み書きはすごく苦手なのですが…。

とにかく、記憶の整理や理解という意味でいけば、佐藤は直感的に文字、というかもはや文字らしき佐藤記号を走り書きした方が何かと効率が良いのです。

ただ、先ほどもお伝えしたように自分でも読めないことがあるため、保存用には全く向きません。

そして、いざ大切な書類に記載しようとする時には染みついた書き方が出てしまいますし、佐藤記号のままではフォーマルな場面には適しません。

なにより、他の方が読むことを前提にするのであれば、本当は佐藤記号を使ってはいけません。

しかしながら、ゆっくりと、きれいに文字を書くというのも、思考のスピードが鈍ってしまうような気がしてしまうのです。

理想としましては、きれいで読みやすい文字が必要な場面ではしっかり丁寧に、自分用の文章でよい時は佐藤記号を存分に、という使い分けができればベストなのだとは思います。

でも、それがなかなか難しいのです。

佐藤が最大限に丁寧に書いた文字は、おそらく字のきれいな方が泥酔して書いた文字のレベルと同程度かやや劣るほどであり、コンディションが良ければもしかしたら僅差で勝てるかもしれない、というレベルかと思います。

今後も佐藤記号をたくさん使っていくのか、この年齢にして文字の練習をするのか、検討が必要なのかもしれません。

皆様におかれましては、佐藤の書いた文字、佐藤記号によってご迷惑をおかけすることがあるかもしれませんが、ケースバイケースで丁寧な文字を心がけますので、ぜひとも温かい目で見守っていただけますと幸いです。

字が汚い上に頭の回転も鈍くてはどうしようもありませんので、日々の業務等々をしっかりがんばりたいと思います。

もしも、佐藤記号を使用したいという珍しい方が、いえ、素晴らしいお考えをお持ちの方がいらっしゃいましたら、いつでもお気軽にご相談ください。

勢いとセンスのままにフィーリングでペンを走らせるというのも、心地が良いものですよ。

それでは。

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