ガス欠、ではなく。

2024年7月9日火曜日

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こんにちは。佐藤です。

少し前のことになりますが、テレビをつけたままツムツムをプレイしておりましたら、「でんけつ」という言葉が聞こえてきました。

はて、「でんけつ」とは何だろうと思った佐藤は、あれこれと想像してみたのです。



でんけつ:「電」車の旅を「決」行すること。

「むーたんは夜8時過ぎまで夜間診療に従事していたが、翌朝の始発電車に乗って島に向かい、その翌日には再び電車に乗って帯広にいた。この日程でのでんけつは本当にアクティブだなと思う」などと使われる。


でんけつ:「伝」説の「結」婚祝い。

「まさかあんなものが結婚祝いとして出てくるとは、本人も奥さんも、周りの誰もが驚いただろうね。あれがこうなってこんなにも大きいとは信じられないし、輝きにしても、味わい深さにおいても、見た目のインパクトも、間違いなくでんけつだよ」と、使う。


でんけつ:「伝」統的な手法により作られる「券」と「漬」物の略。

「今日はここ、佐藤郡佐藤村からの中継です。なんとこの村には自家製のぬかと塩を使い、伝統的な手法で熟成させたお漬物を作る、驚きの小学1年生がいます。では、ちょっとお話しを聞いてみましょう。佐藤君、こんにちは」

「こんにちは」

「佐藤君は全て手作りでお漬物を仕込むんですね?」

「そうです。塩とか野菜とか、全部自分で作りました。湧水を汲んできて使ったり、漬物を入れる樽も作ったものです」

「それは本当にすごいですね。この伝統的な作り方は誰に教えてもらったんですか?」

「おばあちゃんです」

「そうでしたか。それで、佐藤君はこの前のおばあちゃんの誕生日にあるものをプレゼントしたんですよね?」

「はい。これ、肩たたき券です」

「おばあちゃんと一緒にお漬物を仕込んでいる絵が実に詳細に描かれていて、温かみを感じる素晴らしい券ですね」

「いつも漬物のことを教えてくれるので、感謝の気持ちを込めて肩たたき券を作りました」

「それはおばあちゃんはすごく嬉しいでしょうね。伝統的な肩たたき券と伝統的なお漬物、まさにでんけつな場面に今日は出会えました。佐藤村からの中継は以上です。では、スタジオにお返ししま~す」というような場面で使用される。


でんけつ:「田」園の中での「血」液型占いのこと。

「占いと聞くと、薄暗い環境の中、小さな一室で行われるというイメージをお持ちの方も多いのではないだろうか。ただ、それらとは全く逆のオープンな占いというものも存在する。それがこのでんけつだ。広大な田園の中心に置かれた椅子と机。そこに占い師の伝法 傑幸(でんぽう けつゆき)氏が登場し、太陽光や風、雨までもを利用して占うのである」

「伝法氏によると、自然のパワーを使うにはこの環境が一番なのだという。時折聞こえてくるカエルの声やスズメの鳴き声にトラクターの作業音など、全てが運勢を知り今後の未来を把握するために必要だというから驚きだ。自身のニックネームとも同様のこのでんけつには運命を感じているという伝法氏。今最も当たる占い師として、今日も田園の真ん中に立ち続ける」などと使用する。



と、いうことでいつものように思うがままに綴ってみたのですが、今日はこの想像がメインのブログではなく、大切なのは「でんけつ」が何であるかなのです。

調べてみましたら、「でんけつ」は「電欠」であり、電気自動車の電力がなくなって走行できなくなる状態のことでした。

つまり、ガソリン車でいうところの「ガス欠」ですね。

佐藤、電気自動車のことはあまりよくわからないため、「電欠」が耳に入ってきても全くイメージがつきませんでしたが、もしかすると将来的にはごく当たり前の言葉としてあちこちで聞かれるようになるのかもしれません。

なるほど、一つまた新たな言葉を学習し、勉強になったなと思った佐藤でしたが、そういえばと頭に浮かんできたことがありました。

それは、現在普通に使用している「ガス欠」という言葉です。

よくよく考えてみれば、ガスを使用している車で思いつくのはタクシーくらいなもので、多くの場合はガソリン車ですよね。

ならば、本来は「ガス欠」ではなく「ガソ欠」なのではないでしょうか。

しかしながら、どこからも「ガソ欠」などという言葉は聞こえてきません。

あまりにも当たり前にガス欠を使用していて何も思いませんでしたが、なぜガソ欠ではないのか、その理由を少し考えてみました。



【佐藤が想像する理由①】

表記した際に「ソ」が「ン」に見えてしまうなどの間違いが多く発生しては困るため。また、実際にガス車も存在していることから。


【佐藤が想像する理由②】

カタカナで表記した際に「ソ」が「リ」に見えてしまった場合、「ガリ欠」となり、ガリガリ君が品薄状態なのではと誤認されては困るため。


【佐藤が想像する理由③】

佐藤の書く文字があまりに汚いため、「ガソケツ」とカタカナで記した場合、「ソ」が「ー」と「ノ」に見え、「ツ」が「゛」と「ノ」に読み取れてしまい、「ガーノゲノ」になってしまう可能性があるから。

佐藤が手書きで給油に関する注意文を作ると、大半の方は「ガーノゲノに注意してください」と読むことになり、未知の生物がいるのではとあれこれ警戒する結果になりかねないためガソケツの使用は控えるようになった。


【想像する理由④】

ガス欠であればガスが不足しているとすぐにわかるが、ガソ欠だとガソが何の略かわからず、画素数が物足りないために画素欠と言っているのでは、との勘違いにつながるかもしれないから。


【想像する理由⑤】

「リチャード・ガソケツ」いう名前の俳優さんがいるため、ガソリンがないのか人物のことを示しているのかがわからなくのを防ぐためにガソ欠は使わなくなった。

ちなみに、ガソケツ氏の代表作は父と子の愛情を描いた映画、「あの丘の上のガソリンスタンドで君を待つ」である。

映画の大ヒットと共に、主題歌の「back all right」は日本でもミリオンセラーを記録した。



5つほど佐藤的に想像した理由を挙げてみましたが、いかがでしたでしょうか。

え~と、はい、まぁ、これは佐藤によるフィクションも含んでの理由でしたので、どれもこれもが真実には思えなかったことと思います。

では、実際のところ、本当の理由は何なのかと言いますと、ガソリンは英語で「gasoline」であり、それをアメリカでは「gas(ガス)」と呼ぶためにガス欠という言葉があるようなのです。

なるほど、と思う一方で、「gaso(ガソ)」でも問題はないのではないか、などとも感じるのですが、とにかく、ガス欠の由来としてはお伝えした通りでありました。

佐藤としましては、やはり言い慣れているガス欠を今後も使ってしまうと思いますが、もしも普段からガソ欠を採用しているという方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報ください。

なお、一点お伝えしておきますと、佐藤の現状としましてはサラ欠となっております。

これは、お皿がないとか、サラダ不足とかではなく、カール・レイモンの「サラミ」を欲しているという意味です。

昨年に続き行った函館市へのふるさと納税の返礼品として、カール・レイモンのサラミが届くのを心待ちにしております。

ちなみに、現行で販売されているサラミとは別に、以前は「ナチュラルサラミ」なるものがありまして、佐藤的にはそれが一番好きだったもののなぜだか何年も前になくなってしまい、その理由がずっと気になっておりました。

先日、なぜ販売中止になったのかを函館カール・レイモンさんに問い合わせたところ、すぐに担当者の方より返答をいただき、理由を聞いてそうだったのかと驚いたのですが、そちらのお話についてはまたの機会に綴りたいと思います。

佐藤と共に「ナチュラルサラミ」を復活させるための活動を行いたい、などという方がいらっしゃいましたら大歓迎です。

まぁ、具体的な活動方法は何も定まってはおりませんが…。

佐藤のサラ欠はやがて解消されることと思いますが、皆様におかれましてはくれぐれもガス欠やガソ欠や電欠にはお気をつけください。

それでは。

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